昨日、デューク・エイセスの「女ひとり」を聴く機会がありました。
いうまでもなくこの「女ひとり」は、昭和41(1966)年のヒット曲で、
聴けば「恋に疲れた女性が一人癒しの旅に出て京都をさまよっている」
情景が浮かんできます。
ところで、その解説の中で、この曲を作詞した永六輔さんが、
「この歌詞の中にある『恋につかれた女』の『つかれた』
は『疲れた』ではなく『憑かれた』なんです」
と言っていたことを初めて知りました。
しかし、普通、「女ひとり」の歌詞を検索すると『つかれた』は『疲れた』
で出てきますし、私もこれまで『疲れた』だと思っていました。
しかし、作詞した本人の永六輔は『憑かれた』だという。
『恋に疲れた女』と『恋に憑かれた女』では歌から受ける感じなり、
浮かんでくる情景が大分異なってきます。
もっとも歌は世に出てしまえば、その歌詞の意味を決める
作詞家ではなく聴き手です。
だから、大原三千院の参道入り口付近にある「女ひとり」の歌碑では
『つかれた』となっており、見る人が『疲れた』とでも『憑かれた』とでも
どちらの意味にでもとれるように表現してあるのでしょう。
そして多くの方が、この歌の『つかれた』を『疲れた』
と解釈しているからこそ、インターネットに載っている
ほとんどのこの歌の歌詞が『疲れた』となっているのでしょう。
私も『憑かれた』だと情念を感じてちょっと怖い。
だから私も『疲れた』派です。
それにしても文字1つでこれだけ感じが違ってくるとは
言葉というのは奥深いものです。
それではまた。
引用:1966年「女ひとり」 作詞 永六輔