大学を卒業して鉄鋼会社に入職した頃から私は、
「自分は一体何の仕事がやりたいのか」
摸索し続けていたような気がします。
入職した鉄鋼会社の仕事に大きな不満があったわけではありません。
仕事をする目的は、
(1) 生きていくために必要なお金を稼ぐこと
(2) 自己実現をすること
ですが、鉄鋼会社の給与は高くはないもののそこそこで、
また入職以来色々な部署に配属されましたが各部署とも仕事はそれなりに面白く、
(1)(2)は問題ありませんでした。
しかし、仕事の質は人生の質を左右しますので、本当に充実した人生を生き、
仕事をしていくためには、もう1つ、その仕事で
(3) 社会の役に立っている、他人を幸せに出来ていると実感できること
が必要です。
鉄鋼会社にいた頃、私は、自分のやっていることが
その部署や会社の役に立っているということは理解できても、
「社会の役に立っている。他人を幸せにしている」
という実感は皆無で、それゆえ、
「自分が真にやりたいこと、やるべき仕事は他にあるのではないか」
と思い、しかし
「それが何か」
は分らず、探し続けていました。
「それが何か」
が分かったのは、今から37年前に、
国連傘下の世界銀行がエジプト・日本両政府と組んで実施した、
「エジプトの港湾都市のアレキサンドリア市の臨海部に、日本の鉄鋼会社との合弁で、
近代的な一環製鉄所を建設し、現地のエジプト人を採用・教育して操業・引き渡すことによって、
エジプトの鉄鋼業を近代化して鉄鋼製品を自給できるようにし、
またエジプトに3千人の雇用を生みかつ貴重な外貨を節約し、
あわよくば輸出して外貨を稼ぐことができるようにする」
ことを狙って実施した海外プロジェクトに派遣された時です。
プロジェクト実施後のプラザ合意以降の為替の激変で、プロジェクトの採算は大幅に悪化し、
私が赴任した頃は、ほとんど絶望的な状況に陥っていました。
それを、私と同時期にプロジェクトの日本人トップとして赴任された方が、2年間で見事に経営再建して、
現地の製鉄所のエジプト人労働者・世銀・エジプト政府・日本政府を含む全ての関係者をハッピーにしたのです。
それを目の当たりに見て、私は
「自分がやりたかったのはこれだ。自分も経営再建の仕事をしたい」
と思うに至りました。
しかし、経営再建をする機会など滅多にあるものではありません。
それゆえ、自分でやりたいことは分ったものの、それをやる機会がないままに歳月が経ちました。
偶然その機会が巡ってきたのが、鉄鋼会社傘下の企業立病院に派遣された時です。
前後の事情から病院が倒産しそうになり、毎日ほとんど寝る時間もなく、
無我夢中で病院経営に取り組んでいるうちに経営再建が出来ていました。
その時、思ったのです。
「これこそがまさに自分がやりたかった経営再建だ。
そしてこれからも、病院業界なら、その実情から見て、それが可能だ」
と。
それで、15年前に、企業立病院での経営再建の経験を活かして
「病院の経営再建を請け負うプロの事務局長」
として脱サラし、全国各地の病院を経営再建して歩くようになりました。
そして、その経験・ノウハウを集大成・普及しようと5年前に起業して、
一般社団法人日本病院経営支援機構を設立しました。
今はこの「機構」を舞台に、「病院経営者育成塾」を開講して、
事務長・看護部長等の病院経営幹部職員の教育・育成を行う一方で、
病院経営コンサルタントとして、全国各地の病院の経営再建・改善に取り組んでいます。
事業として見た場合、
「病院経営者育成塾は収支トントンか若干の赤字、病院経営コンサルタントは黒字。
トータルでは収支トントンか少し黒字」
というところでしょうか。
お金儲けのためにやっているわけではありませんので、大きな黒字は必要ありませんが、
事業として継続していくためには、トータルで最低限収支トントンに持って行く必要があります。
そのせいか、今は、サラリーマン時代とは異なり、毎年の正月元旦には商売繁盛を祈る習慣が身につきました。
やりたいことが出来ていますので、今の状態に私は満足しており、気力・体力が続く限り、
生涯現役で今の仕事を続けたいと思っています。