こんにちは。
さて、私が毎月通っている歯科クリニックの傍に花屋があり、
その花屋はいつも花で一杯で、店の前を行きかう人々の目を
楽しませてくれます。
先日も歯科クリニックに行った帰りにその花屋を訪れたのですが、
店内の色鮮やかな真っ赤な薔薇の花に思わず目を奪われてしまいました。
今は温室栽培の普及で薔薇は何時の季節でも花屋にあるのですね。
私は花屋の店内が真っ赤な薔薇で溢れている様子を見て、
まるで加藤登紀子が歌う「百万本のバラ」の中で、
貧しい絵描きがなけなしの全財産をはたいて買って恋する女優に贈った
という百万本の薔薇のようだと思いました。
薔薇の花を贈った絵描きの気持ちは女優に伝わることなく、
結局絵描きは失恋してしまうのですが、
好きな女性に自分の気持ちを託して薔薇の花を贈った絵描きの気持ちは
悲しいほど私にもよく分かります。
私にもかつて青春時代のある時、好きな女性に、
百万本ならぬ「花屋にある薔薇の花全部を贈りたい」
と思った記憶があるからです。
それこそもう40年以上前、浪人生活を終えて
めでたく志望の大学に入学した私は、当時、
1人の女性(以下「彼女」と書きます)とつきあっていました。
彼女は私より1才年上で、地元でOLをやっている方でしたが、
知的な美人で当時の私の理想のタイプでした。
今から思い返してみても、いつからどういう切っ掛けで始まったのか
分からないくらい自然な感じでつきあいが始まり、
気がついたら傍に彼女がいました。
お互いこの上なく相性が良くなんでもツーカーで話ができる彼女と
帰省する都度会って話すのは当時の私の最大の喜びでしたが、
私達はお互いをいつも「心友」と呼び合っておしゃべりをし、
コロコロ笑いながらつきあっていました。
そのように自分と相性が合い、自然な感じでお互いを理解し話し合える女性と
出会ったのは私にとって人生で初めての経験でしたので、
当然私は彼女に異性として好意を持ちました。
しかし彼女も私に対して同じ思いを抱いてくれているのかどうかについては
自信がなく、とか言って確認するだけの勇気もないまま月日が流れました。
それだけに彼女から
「今度お見合いをした(私の全然知らない)人と結婚することにした」
という話を聞かされた時はショックでした。
今と違って「適齢期」という言葉が厳然として生きていた時代でした。
特に地方にあっては、女性は適齢期までに
お見合いで結婚していくのが普通でした。
地方の素封家の娘で当時適齢期を迎えていた彼女が
お見合いをしたことは私も知っていました。
しかし恋するものの臆病さから、自分が彼女にとってただの異性の心友に
すぎないのか、それとも恋人なのか、彼女の心に自信がもてなかった私は、
当時まだ学生の身分でかつ彼女より年下だったことに対する気後れもあって、
「お見合いをやめろよ」とは言えませんでした。
言えないまま彼女はお見合いし、そして結婚を決めました。
彼女は私の気持ちを知っていたはずですから、それは私に対する
「貴方はこの上ない心友ではあっても恋人なり結婚の対象ではない」
という無言のメッセージでした。
そう話せば私が傷つくと気遣って、彼女はそれをハッキリと言葉に出しては
言わないで結果でもって示してみせたのです。
そのため失恋して私の恋は終わりましたが、大好きな彼女のために
「別れに際して私にできることを何かしてあげたい」
と思いました。
最後のデートの後、帰る彼女を駅に送っていく途中で、
道端にある花屋が目に止まりました。
花屋は多くの真っ赤な薔薇で溢れていて、私は大好きだったけれども
届かなかった彼女への思いを店一杯の薔薇の花に託して彼女に贈りたいと思いました。
そこでその店に寄った私は彼女を振り向いて
「この店にある薔薇の花を全部結婚祝いに買ってあげるよ」
と言いました。
しかし何故か彼女は
「店一杯の薔薇なんかいらない。1本だけでいい」
と答えました。
私は不満でしたが、
「彼女がそういうなら仕方がない」
と思って、1本だけ真っ赤な薔薇の花を買って彼女に渡しました。
花屋一杯の薔薇にするはずだった私から彼女への最後のプレゼントは
たった1本の薔薇になってしまいましたが、それでも私の気持ちは
薔薇の花とともに彼女に伝わったのでしょう。
彼女は「ありがとう」と嬉しそうに言うと大切そうに
その薔薇を抱いて帰っていきました。
その後、風の便りで彼女が結婚したことを知りましたが、
彼女とはそれっきりで二度と会うことはなく、
彼女の結婚後しばらく継続していた便りのやりとりも、
その後の私自身の結婚と海外を含めた転勤の繰り返しと
毎日の仕事に忙殺される中でいつしか自然消滅の形になり、
今では全く音信がありません。
1本の薔薇を贈った別れの日から40余年の歳月が経ち、
当時の辛く悲しい胸を刺すような痛みは始第になつかしい青春を
彩る甘美な思い出の1つに変わっていきましたが、
見事で美しい真っ赤な薔薇を見ると
「あの人は今頃どこでどのように暮らしているだろうか。
元気で幸福に暮らしていてくれればいいが」
と彼女のことを思い出します。